『ボリス・ゴドゥノフ』の歌詞のロシア語は、今のロシア語とどこが違うのか

オペラ『ボリス・ゴドゥノフ』の歌詞は、ボリスが生きた1600年ごろのモスクワの言葉ではない。

原作の戯曲を書いたプーシキンも、台本を書いたムソルグスキーも、19世紀の人である。歌詞のもとになっているのは、19世紀のロシア語の書き言葉だ。そしてプーシキンは、今のロシア語の書き言葉の土台を作った作家の1人とされている。今のロシア語を学んでいれば、歌詞の多くの文は、そのまま今のロシア語として読める。

それでも、古い楽譜や歌詞を開くと、今のロシア語と違って見えるところがある。違いは、性質の違う3つに分けられる。綴り、時代の雰囲気を出すために選ばれた古い言葉、そして詩の形である。

戯曲とオペラがそれぞれどう生まれたかはオペラの記事に、題材になった実在のツァーリのことはボリス・ゴドゥノフの記事に書いた。

年代記の中に、当時の言葉を探した

プーシキンは、戯曲に添えるつもりで書いた序文の草稿に、こう記している。

Не смущаемый никаким иным влиянием, Шекспиру я подражал в его вольном и широком изображении характеров, в небрежном и простом составлении планов, Карамзину следовал я в светлом развитии происшествий, в летописях старался угадать образ мыслей и язык тогдашнего времени.

ほかのどんな影響にも惑わされず、シェイクスピアには、人物をのびのびと大きく描くこと、筋を飾らずに簡素に組むことを倣った。歴史家カラムジンには、出来事を明快に運ぶことで従った。そして年代記の中に、その時代の考え方と言葉を探り当てようとした。

プーシキンが目指したのは、1600年ごろの言葉をそのまま写すことではなかった。古い年代記を読んで、その時代らしい言葉の手触りを探り当て、19世紀の書き言葉の中に差し込むことだった。

ムソルグスキーは、この戯曲から自分で台本を作った。プーシキンの句をそのまま使ったところもあれば、言葉を入れ替えたところ、自分で書き足したところもある。

ピーメンの独白を読む

戯曲とオペラの両方でよく知られた一節に、年代記を書く老修道士ピーメンの独白の冒頭がある。

Ещё одно, последнее сказанье —
И летопись окончена моя.

もう1つ、最後の物語を書けば、わたしの年代記は終わる。この2行は、プーシキンの句がそのままオペラで歌われる。ロシア語では、何かの締めくくりのひと言を指す言い回しとしても使われている。

語はどれも、今のロシア語にある。летопись(レートピシ)は年代記、сказанье は物語や言い伝えのことである。сказанье は、今の辞書で見出しになっている сказание の語尾を縮めて、1音節短くした形で、詩の中でよく使われる。

その次の行で、戯曲とオペラは分かれる。プーシキンの戯曲では、こうなっている。

Исполнен долг, завещанный от бога
Мне, грешному.

神から、罪深いわたしに託された務めは果たされた、という意味である。ムソルグスキーの台本では、同じところが次のようになる。

Окончен труд, завещанный от Бога мне, грешному.

こちらは、神から、罪深いわたしに託された仕事は終わった、である。ムソルグスキーは、プーシキンの句を借りながら、ところどころで言葉を入れ替えている。

綴りが違う

1874年に初めて出版されたこのオペラの楽譜(ヴォーカルスコア)は、今とは違う綴りで刷られている。1918年より前のロシア語の書き方である。

大きな違いは、次の4つにある。

  • ѣ(ヤーチ)は、今の е にあたる
  • і は、今の и にあたる
  • ѳ(フィター)は、今の ф にあたる
  • 語の終わりの ъ は、今は書かない

たとえば、オペラの題になっている名前は、1918年より前の綴りでは Борисъ Годуновъ と、語の終わりに ъ を付けて書かれた。

ѳ は、ギリシア文字の θ(テータ)から来た字である。ギリシア語から入った語のうち、もとのギリシア語で θ だった箇所に使われた。ボリスの息子の名 Фёдор(フョードル)もギリシア語の名前がもとになっており、1918年より前は ѳ で書き始められた。

語尾にも、今と違う書き方があった。今は -ого と書く形容詞の語尾の1つが、1918年より前は -аго と書かれた。「ムソルグスキーの」という形も、今の Мусоргского ではなく Мусоргскаго である。

綴りが変わったのは、1917年から1918年にかけての改革による。準備は帝政時代の科学アカデミーで、言語学者たちが1904年から進めていたもので、1918年10月の布告で、印刷物は新しい綴りで刷られることになった。経緯はキリル文字の記事で書いた。

綴りの違いは書き表し方の違いであって、語や文法の違いではない。古い楽譜を開いても、この4つと語尾の書き方を知っていれば、たいていの語は今のロシア語の知識で読める。

時代の雰囲気のための言葉

2つ目の違いは、プーシキンが時代の雰囲気を出すために選んだ言葉である。19世紀のロシア語が、そもそもこういう言葉でできていたわけではない。

ピーメンの独白は、こう続く。いつか勤勉な修道士が、名も残らない自分の仕事を見つけ、自分と同じように лампада(聖像の前にともす灯明)に火をともし、хартии から幾世紀の塵を払って、正しい物語を書き写すだろう。

И, пыль веков от хартий отряхнув,
Правдивые сказанья перепишет.

хартия は、古い手書きの文書や、それが書かれた羊皮紙などを指す語で、今の辞書では古い言葉とされている。もとはギリシア語で、紙や書状を指した語である。

登場人物の呼び名にも、16世紀の終わりの世界の言葉が並ぶ。царь(ツァーリ)、царевич(ツァレーヴィチ、ツァーリの息子)、бояре(ボヤーレ、大貴族たち)、юродивый(ユロージヴィ、聖愚者)、самозванец(サモズヴァーネツ、身分を偽って名乗る者)。どれも今のロシア語にある語だが、舞台の上では、今とは違う世の中の身分や役目を表している。

詩で書かれた言葉

3つ目の違いは、形である。プーシキンの戯曲は、大部分が韻を踏まない詩で書かれている。1行に、弱く読む音節と強く読む音節の組が5つ並ぶ形で、弱強五歩格と呼ばれる。シェイクスピアが劇に使ったのと同じ詩の形である。一部の場面は散文で書かれている。

詩の行に収めるために、語の形が縮められたり、語順が入れ替わったりする。сказанье のような形はその一例で、今のロシア語の文法書にそって1語ずつ追っていくと、ときどき戸惑うことになる。

歌われる言葉について

オペラの歌手がこの歌詞をどう発音して歌うのか、話し言葉とどこが違うのかについては、この記事では書いていない。確かめられる資料に当たれていないためである。

綴りを知り、時代の言葉と詩の形を見分けられれば、『ボリス・ゴドゥノフ』の歌詞の多くは、今のロシア語の知識で読み進められる。ボリスの独白の冒頭 Достиг я высшей власти(わたしは最高の権力にたどり着いた)も、語順が入れ替わっているだけで、今のロシア語としてそのまま読める1行である。

ロシア語の学習アプリ / キリル文字について