Ԓ という字を見て、キリル文字だと分かる人は多くないと思う。
Л に横棒を1本足したような形をしている。実際そのとおりで、この字はロシア語のキリル文字には存在しない。チュクチ語を書くために、後から作り足された字である。
作り足す必要があったということは、渡された文字がその言語に合っていなかったということでもある。この記事は、ロシア語のための文字を渡された2つの言語の話になる。
先に断っておきたいこと
トゥヴァ語とチュクチ語は、まったく別の言語である。
トゥヴァ語はテュルク系の言語で、話されているのはモンゴルと国境を接する南シベリアのトゥヴァ。チュクチ語はチュコト・カムチャツカ語族に属し、話されているのはユーラシア大陸の北東の端、ベーリング海峡に面したチュコト半島である。系統も、地理も、生活の形も違う。直線距離で5000キロ近く離れている。
この2つを「シベリアの少数民族」とひとまとめにすると、何も見えなくなる。共有しているのは1つだけで、20世紀前半に、自分たちの言語をどの文字で書くかを、自分たちの外側で二度決められたという履歴である。
もう1つ、先に書いておく。この2つは、文字を守るために戦った話ではない。押し付けられた側の話である。
トゥヴァ語:1930年にラテン文字、1943年にキリル文字
トゥヴァは、1944年にソ連へ編入されるまで、名目上は独立した共和国だった。
文字を持つのは1930年である。同年6月28日の政府決定でラテン文字による表記が導入され、これがトゥヴァ語で書かれた最初の本や新聞になった。この正書法を作ったのは、トゥヴァ人の僧侶モングシュ・ロプサン=チミット(Mongush Lopsan-Chimit)だったとされる。ただし、彼が1928年に僧侶たちと出した案は政治的な理由で退けられたとも伝えられており、1930年に採用された体系が彼の案とどこまで同じものかは、はっきりしない。
いずれにせよ、最初の文字は現地で作られた。これは押さえておく価値がある。
13年後、その文字は替えられる。1941年にキリル文字への移行が決まり、1943年9月からキリル文字での表記が始まった。トゥヴァ語には、ロシア語に無い母音や鼻音がある。そのため、この体系にも ң、ө、ү という3つの字が足されている。
翌1944年、トゥヴァはソ連に編入された。
チュクチ語:1931年にラテン文字、1937年にキリル文字
チュクチ語の場合、最初の公式な文字もラテン文字だった。1931年に作られ、1932年から教科書に使われている。
作ったのはウラジーミル・ボゴラス(Vladimir Bogoraz)である。革命運動に関わってチュコトへ流刑になり、その地でチュクチの言語と口承を記録した人物で、この記録は現在に残るチュクチ語の資料の中でも中心的なものになっている。
そのラテン文字も、6年しか使われなかった。1937年にキリル文字へ切り替えられている。チュクチ語の音はロシア語のキリル文字ではさらに足りず、この記事の最初に出した Ԓ のほか、ӄ(U+04C4)や ӈ(U+04C8)が使われる。
何が起きていたのか
1920年代から30年代にかけて、ソ連では多くの言語がラテン文字で書かれるようになり、その後1930年代の終わりから40年代にかけて、今度は一斉にキリル文字へ移された。トゥヴァ語とチュクチ語の年表が似ているのは、2つの言語に共通の事情があったからではなく、どちらも同じ政策の対象だったからである。
ここで注意したいのは、最初のラテン文字化も、その後のキリル文字化も、その言語の話者が自分たちで選んだ結果ではない、という点である。文字を持たなかった言語に文字が与えられ、10年ほどで別の文字に置き換えられた。読み書きを覚えた人が、覚え直しを求められたということでもある。
アルメニア文字のように、国家が何度替わっても文字が替わらなかった例と並べると、違いが見えやすい。アルメニア文字を守ったのは国家ではなく、その文字で書かれた文献の蓄積と、それを読み書きする共同体だった。1930年のトゥヴァ語とチュクチ語には、まだその蓄積が無かった。
字形に残っているもの
Ԓ は、この記事で扱った経緯がそのまま形になった字である。
キリル文字を渡された。しかしキリル文字のままでは足りなかった。だから足した。渡す側の文字を土台にして、渡される側の音のために手を加えた跡が、字の形として残っている。
セカイモジがこの字をサイト全体の目印の1つに使っているのは、そのためである。国旗でも紋章でもなく、文字そのものを置いている。
現在の状況
トゥヴァ語は今もキリル文字で書かれ、トゥヴァ共和国で日常的に使われている。チュクチ語の状況はこれよりずっと厳しく、日常的に使う人は減り続けている。
具体的な話者数は、この記事では書かない。出典によって数字の開きが大きく、公表年によっても変わるためで、確かな出典と参照年を示せる状態になってから書く。