Ⱄ という文字を見たことがあるだろうか。
丸と輪と結び目を組み合わせたような、装飾的な形をしている。この文字はグラゴル文字の1字で、「スラヴ人」を意味する自称語 Словѣньскъ の頭文字にあたる。今このアルファベットを日常的に読み書きしている人は、世界にほとんどいない。だが、この文字が無ければ、スラヴ語圏の文字文化そのものが今と違う形になっていた。
863年ごろ、何のために作られたか
文字を作ったのは、東ローマ帝国から派遣された2人の兄弟、キュリロス(コンスタンティノス、Cyril / Constantine)とメトディオス(Methodios)である。
862年、大モラヴィア(現在のチェコ・スロヴァキア一帯にあった国)の君主ロスチスラフが、コンスタンティノープルの皇帝に宣教師の派遣を求めた。すでにフランク系の聖職者がラテン語で布教していたこの地域で、住民自身の言葉で教えを説ける聖職者が欲しい、という要請だった。これに応えて、キュリロスとメトディオスが863年ごろに現地入りし、布教のためにスラヴ語を書き表す文字を新しく作った。これがグラゴル文字である。
ただし、創始の年は862年とも863年ともいわれ、どちらか一方に確定できない。要請の年である862年と、実際に現地へ入り布教を始めた年である863年が、混同されて伝わっている面があるためで、この記事でもどちらか一方を断定しない。
目的は、アルメニア文字の場合と同じく翻訳だった。キュリロスとメトディオスは、グラゴル文字を使ってギリシア語の礼拝文をスラヴ語に翻訳し、現地の人々が自分の言葉で礼拝に参加できるようにした。
「聖なる言語は3つしかない」への反論
グラゴル文字が生まれた背景には、当時のラテン教会の一部にあった、ある主張がある。神を讃えるのにふさわしい言語はヘブライ語・ギリシア語・ラテン語の3つだけであり、それ以外の言語を礼拝に使うべきではない、という考え方である。後世、これは「三言語異端」と呼ばれるようになった。
キュリロスは、この考え方に真正面から反論した。867年、ローマへ向かう途上のヴェネツィアで、三言語主義を唱える聖職者たちと論争し、新約聖書の一節(コリントの信徒への手紙一 第14章)を根拠に、あらゆる言語での礼拝を擁護した。ローマに到着した後、教皇ハドリアヌス2世はスラヴ語による礼拝を正式に認め、スラヴ語で書かれた聖典が聖堂の祭壇に置かれた。
一時的とはいえ、この主張は勝った。だが、その後の展開は逆方向に進む。
メトディオスの死後、何が起きたか
キュリロスは869年にローマで死去する。事業を引き継いだメトディオスも885年に世を去ると、状況は一変した。大モラヴィアの後継者争いの中で、スラヴ語礼拝に否定的な聖職者ヴィヒングが実権を握り、教皇ステファヌス5世はスラヴ語礼拝を禁じる決定を下す。メトディオスの弟子たち、200人ともいわれる人々が捕らえられ、大モラヴィアから追放された。
追放された弟子たちが逃れた先が、ブルガリアだった。ブルガリアの宮廷はこの一団を受け入れ、クリメントやナウムといった弟子たちが、プレスラフやオフリドを拠点に活動を続けた。キリル文字が作られたのは、この時期、このブルガリアでのことである。グラゴル文字よりも直線的で、ギリシア文字の書体に近い新しい文字体系を作ったのは、キュリロスとメトディオス本人ではなく、彼らの弟子の世代だった。名前は師であるキュリロスにちなむ。だが、キュリロス自身が作った文字ではない。この2つの文字を混同しないことが、スラヴ語圏の文字史を読むうえで最初の関門になる。
グラゴル文字はその後、数世紀のうちに、多くの地域でキリル文字に取って代わられていった。ギリシア文字に近い字形のキリル文字のほうが、東ローマ帝国の文化圏とつながりの深い聖職者たちにとって扱いやすかったためだと考えられている。
字形の話
グラゴル文字は、円・三角・十字を基本要素とする組み合わせでできている、という見方がある。円はキリスト教世界そのものを、三角は三位一体を、十字はキリスト教を象る、という説である。この説がどこまで意図された設計かは研究者のあいだでも見解が割れているが、実際にどの文字を見ても、丸みを帯びた輪と交差する線でできており、ギリシア文字にもラテン文字にも似ていない独自の造形になっていることは間違いない。
現在の状況
グラゴル文字は、今日ではほとんどの用途でキリル文字かラテン文字に置き換えられている。例外はクロアチアで、この地域では中世から20世紀に至るまで、グラゴル文字による礼拝の伝統が続いた。2014年には、グラゴル文字の読み書きと印刷の技能がクロアチアの無形文化遺産に指定されている。クロアチアの沿岸部には、グラゴル文字1字ずつを石碑にした記念碑もあり、観光地にもなっている。
キリル文字の歴史そのものは、この記事では扱わない。ブルガリアで何が起きたかは、キリル文字の記事で改めて扱う。